ときどきヒカリゴケ

ハイポニストヒカリゴケの俳句や生活のこと

ハイポ「踊」机くんレポート

先日、カピバラが買ったジョージアにこんなものが✨

 

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穢土転のイタチがサスケに詰め寄っておりました。(ピントどこに合ってるんだ?の写真ですみません)

顔ニヤけて困ったw

 

さて、ハイポ「踊」今日〆切です❗️

まだ出来てないだよー。

下記、つぎがいさんの机くんレポートを見て頑張ります‼️

 

・盆に踊る民俗芸能。祖霊、精霊を慰め、死者の世界にふたたび送り返すことを主眼とし、村落共同体の老若男女が盆踊り唄(うた)にのって集団で踊る。手踊、扇踊などあるが、歌は音頭取りがうたい、踊り手がはやす。太鼓、それに三味線、笛が加わることもある。古く日本人は旧暦の正月と7月は他界のものが来臨するときと考えた。正月は「ホトホト」「カセドリ」などいわゆる小(こ)正月の訪問者がこの世を祝福に訪れ、7月は祖霊が訪れるものとした。盆棚で祖霊を歓待したのち、無縁の精霊にもすそ分けの施しをし、子孫やこの世の人とともに楽しく踊ってあの世に帰ってもらうのである。こうした日本固有の精霊観に、仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)が習合してより強固な年中行事に成長した。盆に念仏踊を踊る例もあるが、念仏踊は死者の成仏祈願に主眼があり、一般に盆踊りとは別個の認識にたつ。
・15世紀初頭に伏見(ふしみ)の即成院や所々で踊ったという盆の「念仏躍(ねんぶつおどり)」「念仏拍物(ねんぶつはやしもの)」(『看聞御記(かんもんぎょき)』)は、まだ後の盆踊りというより念仏の風流(ふりゅう)の色彩が濃いものであったが、同世紀末に昼は新薬師寺、夜は不空院の辻(つじ)で踊られたという「盆ノヲドリ」(『春日権神主師淳(かすがごんかんぬししじん)記』)は盆踊りの色彩を強めたものであったろう。盆踊りはそのほか伊勢(いせ)踊なども習合することになったらしいが、にぎやかで華やかな踊りで、異類異形の扮装(ふんそう)をしたとあり、まさに風流(ふりゅう)振りである。16世紀中ごろには小歌(こうた)風の盆踊り唄がつくられていた(『蜷川(にながわ)家御状引付(ごじょうひきつけ)』)。江戸時代以降いよいよ盛んになり、全国的にそれぞれの郷土色を発揮して、いまに行われている。
・風流踊りの芸態は、風流拍子物の造り物を中心の「中踊り」に取り入れ、外側には「側踊り」(がわおどり)と呼ぶ輪踊りを伴った。安土桃山時代にいよいよ盛んになり、その様子はいくつかの「洛中洛外図」にいきいきと描かれている。豊臣秀吉の追悼となる豊国廟祭礼の際にピークを迎え、江戸時代になると衰えた。現在の盆踊りは風流踊りの「側踊」のみが残ったと考えられている。
・つぎがいより:盆踊りが江戸時代中期以降?から性的エネルギーの開放の場としての側面が強まり、政府等が取り締まりをしていた、という記事が散見しますが、事実だとも事実でないともいえないような出典・根拠のように思います。
・西馬音内盆踊り
https://www.youtube.com/watch?v=gKbhY2goSA4  
http://ugo.main.jp/bonodori/
・新野の盆踊り
http://www.town.anan.nagano.jp/kanko/cat177/000370.html
http://mg.minami.nagano.jp/group/niinobon
・大宮踊り
http://cms.top-page.jp/p/maniwa/3/1/10/
https://www.youtube.com/watch?v=io874RKI1qM