ときどきヒカリゴケ

ハイポニストヒカリゴケの俳句や生活のこと

「菊日和」火曜道場を見る

「菊」という言葉が入っているので、菊という植物の存在は当然感じられるのですが、あくまでも「菊」は主役ではない。季語の世界のどこかに菊が咲いている、菊が薫っているに違いない秋の心地よい日和、という感覚でしょうか。
(俳句ポスト365引用)

 

もう、上記に尽きると思う。

 

このブログで「菊日和」の考察した時、私のイメージしたものとしてあげたのは「菊」そのもののイメージだった。

 

その後、例句として深く考えてみたのが…

 

御空より発止と鵙や菊日和          川端茅舎

 

どの歳時記にも載っていると思われる例句だ。

澄み渡った空より、鵙が矢のように飛んできて止まった。獲物を仕留めたのだろう。

(発止は鵙の鳴き声だとしている読みもありましたが、私はこう読みました)


素晴らしい写生句だけど「目や心のどこかに菊が感じられなければならない」のなら、この句のどこに菊があるんだろう…ひとしきり悩むことになる。

空から矢のように飛んできて止まった鵙。

そもそも鵙とはどのような鳥なのか。
「開けた森林や林縁、河畔林、農耕地などに生息する。
食性は動物食で、昆虫  節足動物、甲殻類、両生類、小型爬虫類、小型の鳥類、小型哺乳類などを食べる。
樹上などの高所から地表の獲物を探して襲いかかり、再び樹上に戻り捕えた獲物を食べる。」
(ウィキペディア引用)

この生息環境なら、傍らにはきっと野菊があるんだ!
茅舎は、澄み渡る秋の自然の静と動を詠んだのか?

ここで、待てよ…と思った。
今私がやったこと、上記の茅舎の句を読み解こうとした時と同じで、読み手はこの句のどこに菊が感じられるんだろうと想像してくれるはずなんだ。

「菊」に引きずられそうになったけど、「菊日和」とはそういう季語なのかもしれない。

こう思えたのは〆切前日。

それからは、とにかく作った(笑)

 

そうじゃないかな?が、やっぱりそうなんだ!に変わってスッキリした‼️